大阪府大阪市にある「かじの治療院」は“痛くない”、“ボキボキしない”、無痛バランス療法で自然治癒力を引き出し健康な明日をサポートします。

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  • 雑学
  • 2019.7.12

二代目将軍 徳川秀忠の紹介

「かじの治療院」です。無痛バランス療法(無痛整体)と脳活性化療法をやっています。

私の趣味は歴史です

徳川秀忠が武家諸法度の制定など幕政の整備に努めた
1605年に徳川秀忠は2代目江戸幕府の将軍になる。
2代目将軍になると、秀忠は大名の取り潰しを始めた。その代表的な例として豊臣氏を滅ぼした大坂の陣が挙げられる。関ケ原の戦い以降、豊臣秀頼は大坂の大名として存在していた。方広寺の鐘の文字に国家安康と君臣豊楽があったことから謀反の疑いがあるとみなされ、これが大坂の陣のきっかけになり、豊臣氏は滅ぼされた。
1615年に武家諸法度元和令を制定し、無断で城を改修した場合、改易処分にするという決まりを作った。武家諸法度に違反して取り潰された大名では、広島城城主福島正則が有名である。1615年の武家諸法度以降、法度を理由に多くの大名の取り潰しを行う。武家諸法度については将軍の代替わりごとに制定されていくのが慣習となる。武家諸法度以外では、謀反の疑いがあるとして本多正純を改易にしている。本多正純は父家康の側近として知られていた人物である。この改易については、宇都宮城にある釣り天井を崩落させて秀忠の暗殺を狙っていたと言われ、宇都宮釣天井事件と言われている。なお、この事件については未遂に終わっている。武家諸法度以外では、公家や天皇の住まいの禁裏御料を対象にした決まり、禁中並公家諸法度も発布し、江戸幕府の政治体制の確立に努めた。

二代目将軍 徳川秀忠の紹介

二代目将軍 徳川秀忠は、父親の大御所 徳川家康の死後、実力を発揮します。その理由を話したいと思います。
当然のことですが、大御所の存在が大きく、側近も将軍より大御所の意向を重んじていました。将軍が側近から意見されることが多かったようです。将軍は、大御所の命令通りに従っていました。つまり、「お飾り」のような存在でした。大御所の死後、秀忠は、父親以来の側近を自分の小姓を取り立てました。小姓から、おだてられ、秀忠は、伸びました。
人間は、他人から褒められたり認められすると男性ホルモンである「テストステロン」が増加します。
テストステロンが増加すると「思い切ったことができる。自信が感じられるようになり大胆な行動がとれる。集団の中でリーダーとして主張できる。」といった様々な効果があります。
具体的に上げます。秀忠は、姿勢が良くなった。自信満々の姿勢で臨みました。自分は、将軍であり、「上座」に座り、部下に対し高慢な、ぞんざいな態度で臨みました。映画の「ゴッドファーザー」のように一家の中心に位置して食事を摂る。このような風景です。
もうひとつ、秀忠が「ストレス解消」のため、趣味を持っていました。太鼓で「鼓を打つ」ことです。太鼓を打つことで「ストレス解消」になり、太鼓の打った「振動」が脳(前頭葉)を活性化させます。
姿勢を良くする。脳を活性化させる。「かじの治療院」に来られて日頃の疲れをとりませんか。

「かじの治療院」に来られて無痛バランス療法(無痛整体)を受けられ健康になりませんか。

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